音楽は絵画のように~第4回「悲しみの道~聖母マリアの7つの悲しみ」~

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~第4回「悲しみの道~聖母マリアの7つの悲しみ」~

『VIA DOLOROSA~悲しみの道』
アンサンブル・ゼーネ
KLARTHE KLA060  輸入盤

 音楽と絵画を関連付けてCDをご紹介する企画「音楽は絵画のように」。 第4回目は聖母マリアの七つの悲しみについてのお話。このテーマで製作されたすばらしいCDをご紹介します。

『VIA DOLOROSA』

ブリュノ・ケレ=ボージャール指揮
アンサンブル・ゼーネ
録音:2017年4月25‐27日パリ、ボン・スクール・プロテスタント教会
KLARTHE KLA060 輸入盤

収録内容

ウィリアム・バード(1538or43?-1623):アヴェ・ヴェルム・コルプス
アントニオ・ロッティ(1667-1740):クルチフィクスス(十字架に架けられ)(8声)
ドメニコ・スカルラッティ(1685-1755):スターバト・マーテル
ヘンリー・パーセル(1659-1695):思い出さないでください、主よ、我らが罪を
ヘンリー・パーセル(1659-1695):我が声を聴きたまえ、おお、主よ
グレゴリオ・アレグリ(1582-1652)&トンマーゾ・バイ(1636-1714):ミゼレーレ

 このアルバムは、ハンガリー系フランス人であるブリュノ・ケレ=ボージャールによって結成された声楽アンサンブル、アンサンブル・ゼーネによる『VIA DOLOROSA』というタイトルのCDです。ゼーネ(ZENE)とはハンガリー語で音楽という意味とのことで、指揮者のケレ=ボージャールの命名によるものでしょう。主にルネサンス・バロック時代のレパートリーを扱い、現在、ヨーロッパ中の音楽祭などに招聘されるなど活躍の場を広げています。少人数のアンサンブルで非常に精度の高いハーモニーと高い表現力を聴かせる優れた声楽アンサンブルです。このアルバムのタイトル『VIA DOLOROSA』は、「悲しみ(Dolorosa)の道(Via)」という意味で、十字架へと向かうイエス・キリストの道程「Via Crutis(十字架の道)」とほぼ同義語で、また十字架を担いでゴルゴタへの道を行くイエスを見守る聖母マリアの悲しみの道でもあるので、「Mater Dolorosa(マーテル・ドロローザ)=悲しみの聖母」とも結びついています。このアルバムは、これらの言葉に関連する「聖母の七つの悲しみ」を音楽で示すプログラムとなっています。「聖母の七つの悲しみ」とは、日本語ではいくつかの言い回しがありますが、ブックレットの表現に基づいて記してみますと、以下のような7つの事柄を示しています。

1,シメオンの預言:シメオンは、マリアに、十字架の下において両刃の剣でその心を貫かれるだろうと告げる。
2,聖家族のエジプトへの逃避
3,エルサレムの神殿で三日間、幼子イエスを見失う
4,十字架への道程でのマリアとイエスの出会い
5,マリアの苦しみと十字架上のイエスの死:スターバト・マーテル・ドロローザ
6,マリアは、十字架から降ろされた後のイエスを腕に抱きかかえる。ピエタ
7,マリアは息子の遺体を埋葬する。

『女性半身像の画家︰「聖母の七つの悲しみ」』
16世紀後半、カタルーニャ国立美術館蔵
参考図:『女性半身像の画家:「リュートを弾く女性」』

 この「聖母マリアの七つの悲しみ」は絵画や彫刻など、美術の主題として作品が作られました。ここではそうした一つの例を見てみましょう。ここに掲載した絵画は、16世紀後半にアントウェルペンで活躍していたという「女性半身像の画家」とされる逸名の画家による作品です。この「女性半身像の画家」と不思議なニックネームの付けられた画家ですが、若い女性が楽器を演奏する絵画をいくつも残したことで、この名前で語られているようです。もしかすると一人の画家でなくグループや工房だった可能性もあるようです。この絵画「聖母マリアの七つの悲しみ」では、第1の悲しみの「シメオンは、マリアに、十字架の下において両刃の剣でその心を貫かれるだろうと告げる。」(ルカ書)を視覚的インパクトのある表現として、マリアの胸のあたりに長い剣が突き刺されるように描かれています。かなり直接的な表現で驚きますが、それだけ強い悲しみを表現しているということでしょう。このマリアの胸に剣が突き刺さる直接的な表現は、極端なものでは7本の剣が突き刺さるように表された絵画や彫刻も残されています。また7本の剣が突き刺さる心臓というモチーフにもなりました。このモチーフはメダイヨンやネックレスなど宗教的なアクセサリーなどにも広く使用されているようです。マリアの悲しみ、心の痛みを直接的な描写で示す表現ですが、大きな剣がマリアの胸に突き刺さる図像はかなりインパクトの強いものですね。
(参考図:スペイン・サラマンカの聖十字架教会の像。)

 女性半身像の画家による絵画に戻りましょう。最初は、マリアの心臓を貫こうとする大きな剣に目が奪われますが、悲しげな表情を浮かべるマリアの周りを取り巻く7つの円の中にマリアの7つの悲しみが示されています。左下より右上にに向かって
1、「シメオンの預言」(ルカ書の記述。イエスが生まれたときに幼子イエスを抱き上げたシメオンがマリアに向かって「十字架の下において両刃の剣でその心を貫かれるだろう」と告げる場面)
2、「聖家族のエジプトへの逃避」(マタイ書の記述。ヨセフとマリアが幼子イエスとともにヘロデ王の嬰児虐殺から逃れるためにエジプトへ向かう場面)
3、「エルサレムの神殿で三日間、幼子イエスを見失う」(ルカ書の記述。エルサレムでの過越祭でヨセフとマリアはイエスを見失い、3日後エルサレム神殿で学者たちと議論するイエスを発見する場面)
4,「十字架への道程でのマリアとイエスの出会い」(磔を宣告されたイエスが十字架を背負い、ゴルゴタの丘へ向かうときにマリアと出会う場面)
5、「マリアの苦しみと十字架上のイエスの死」(マリアが十字架に架けられたイエスを見上げる場面)
6、「マリアは、十字架から降ろされた後のイエスを腕に抱きかかえる」(十字架降下。十字架から降ろされた死せるイエスをマリアが抱きかかえる場面)
7、「マリアは息子の遺体を埋葬する」(マリアが、アリマタヤのヨセフによるイエスの埋葬を見守る場面)
となっています。
 イエスは生まれた瞬間から、受難が決定づけられています(第3回参照)。子が生まれた喜びと同時に、その子の非業の死が決定してしまうマリアの強い悲しみを、大きな剣で心臓を貫かれる直接的表現で伝え、そのマリアを取り巻くように7つの悲しみの事象を描く印象的な表現になっているのです。

参考図:ベラスケス「十字架上のキリスト」

 さて、ここからは、このアルバムのコンセプトに従って、収録された曲目を、7つの悲しみと関連付けながら見ていきましょう。まずこのアルバムは、キリストの聖なる体について讃美する聖体讃美歌であるウィリアム・バードの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』から始まります。バードはテューダー朝のイングランドで活躍した作曲家で、この『アヴェ・ヴェルム・コルプス』はバードの代表作として知られる小品ながら大変美しく神秘的な響きを持つ楽曲です。当時のイングランドは、いわゆる英国国教会が国の公式な宗教であり、カトリック信者たちは迫害に合うこともあったそうです。バードは王室に仕える音楽家ながら、カトリックの信仰を持ち続けていました。この『アヴェ・ヴェルム・コルプス』が収録された曲集『グラドゥアリア』第2集は、バードの晩年の雇い主であり、同じくカトリックを信仰していたジョン・ピーター卿に献呈された曲集で、この曲集にバードは「(曲集に収められた楽曲の数々は)あなたの庭で採取された花々であり、あなたに正当に与えられるべき什分の一税です」と添え書きしています。つまり、バード同様カトリックの信仰を有していた雇い主が、カトリックの典礼において使用する曲集であったことを示しているのです。『グラドゥアリア』にはカトリックの典礼を行うための楽曲が収められているのです。また『アヴェ・ヴェルム・コルプス』にはこのテキストには通常加えられない詩篇51の「ミゼレーレ・メイ」のテキストを作品の最後に加えています。これは「私を憐れんでください」という改悛の言葉であり、神へ哀願する姿勢を強調しています。このアルバムでは、マリアが死したイエスの体に向かって祈りをささげる姿を重ねているように思えます。聖なる体の参考図として傷口から流れる生々しい血の表現がありながら、見事なプロポーションの美しい肉体の人物像として描かれたベラスケスの「十字架上のキリスト」を掲げておきます。

参考図:ティントレット「キリストの磔刑」

 次に収録されているのは、ロッティの『十字架につけられ』は、曲名通りイエスの十字架への磔を主題とした楽曲で、カトリックのミサの「クレド」の中の一部がテキストとなっています。アントニオ・ロッティは17世紀後半から18世紀半ばにかけてほぼ生涯をヴェネツィアで過ごし、活躍したバロック時代の作曲家です。先進的なミサやオペラも作曲しましたが、ルネサンスのポリフォニーを思わせる対位法を用いた古い様式の教会音楽も数多く作曲しています。その一つである『十字架につけられ』は彼の代表作でもあります。ロッティはこのテキストに何度も曲を付けていますが、8声のためのこの楽曲はその中でも最も有名で濃密な表現力を持った作品です。長い掛留と不協和音のフレーズが多用され、十字架につけられるイエスの痛ましい姿が鋭い音で描写されます。終盤のすさまじいまでの和音の渦は圧巻です。最後は死したイエスが十字架から降ろされることを示すように下降音階で締められます。私見ですが、こうした表現は、ヴェネツィアのサン・ロッコ大信徒会に描かれたティントレット(1518-1594)の『キリストの磔刑』(1565年 参考図)のリアルでダイナミックな迫りくる表現から影響を受けたものではないかと考えています。このアルバムでは、この楽曲は磔刑の姿に深く悲しむマリアが見たイエスの痛ましい姿を現しています。

参考図:ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「十字架降下」

 続く楽曲は、ドメニコ・スカルラッティの『スターバト・マーテル』。イエスが磔にされた十字架の下で嘆き悲しむ聖母マリアを描写したテキストにつけられた楽曲です。前述のように「聖母マリアの七つの悲しみ」を絵画で表現する画像に、マリアの胸に直接剣が刺さっている絵画がいくつも見られますが、そうした苦痛を示すものが「スターバト・マーテル」というテキストです。ヤコポーネ・ダ・トーディという13世紀イタリアの修道士が書いたとされるこのテキストは中世から人気のテキストとなり、ルネサンス以降、数多くの作曲家によってこのテキストを歌詞とする楽曲が作られました。歌詞の中には「魂を剣が貫く」とういう悲しみの強さを示す言葉が出てきます。ドメニコ・スカルラッティは、ナポリ、ローマなどのイタリア各地、ポルトガル、スペインと渡り歩いた鍵盤奏者、作曲家ですが、各地で異なる庇護者を得ていて、その実力が高く評価されていたことを示しています。1715年、ローマで短期間のうちに作曲されたとされる10声の「スターバト・マーテル」は、その後の鍵盤音楽の発展に大きく寄与した革新的な鍵盤ソナタを550曲以上残したドメニコの作品としては、古い様式で作られています。しかし、古風で内省的な響き趣を漂わせるルネサンスのポリフォニーに基づくその様式の中にも、技巧的な独唱が含まれたり、効果的な不協和音が使われたりと、そのバロック的な表出力には目を見張るものがあります。随所で使用される厳格な対位法には、悲痛さを示す和音が使用され、マリアの悲しみを表しています。またクライマックスでテノールとソプラノに現れる技巧的なメリスマ唱法は、Inframmatus(火をつける)という言葉に対応しており、燃え盛る炎を示しています。高度な歌唱が要求されるこの作品の聴きどころの一つとなっています。十字架上のイエスの死を目の当たりにした聖母マリアの悲しみを新旧の技法を用いながら合唱曲として作り上げたドメニコ・スカルラッティ渾身の1曲です。参考図のロヒール・ファン・デル・ウェイデン「十字架降下」では、十字架のたもとのマリアは悲しみのあまり気を失っています。

参考図:ピエロ・デッラ・フランチェスカ「ミゼリコルディア祭壇画」より

 アルバムはここから、信者たちの罪を悔い、行いを改めるという改悛がテーマとなっていきます。聖母マリアへ罪の許しを請うのです。ここに収録されたパーセルの2つの讃美歌は英語の歌詞を持つ英国国教会の典礼に基づく楽曲です。「イギリスのオルフェウス」と称えられる17世紀イギリスを代表する作曲家ヘンリー・パーセルは、ウェストミンスター寺院でオルガニスト、聖歌隊楽長として活躍した天才です。イギリス最初の完全なオペラとされる『ダイドーとイニーアス』、『アーサー王』『妖精の女王』などの劇に関連する劇音楽、王室の行事のために作られた数多くのオード(頌歌)などがパーセルの作品の中核をなすものですが、王宮礼拝堂や寺院の典礼の際に歌われた讃美歌、アンセムなど英国国教会の教義に基づく教会音楽もパーセルの天才的な作曲能力を示すものです。中世ブリテンのラテン語の宗教詩やルターのテキストに影響を受けたカンタベリー大司教トーマス・クランマー(1489-1556)の宗教詩を歌詞とする『思い出さないでください、主よ、我らが罪を』、詩篇102の英語訳を歌詞とする『我が声を聴きたまえ、おお、主よ』は、どちらも改悛者の悔恨の念が主題であり、罪の許しを請う信仰者たちの痛みを和らげるための神への祈りです。パーセルは、歌詞の内容を聴き手に分かりやすくするようにポリフォニックな部分をあまり設けず、和音を中心としたホモフォニックで比較的平易に曲作りをしていますが、改悛の念を湛える短調の和音が大変効果的に使用されているので、内省的な響きをまとった心に染み入る小品となっています。イエスの死という悲しみを背負った聖母マリアに悔い改めを誓い、祈りをささげる信仰者たちの姿が描写されているのです。参考図のピエロ・デッラ・フランチェスカによる「ミゼリコルディア祭壇画」のメインを成す「慈愛のマリア」は祈りをささげる信徒たちを庇護するマリアが描かれています。

参考図:ラファエッロ「大公の聖母」

 アルバムを締めくくるのは、有名なグレゴリオ・アレグリの『ミゼレーレ』。改悛の詩篇である詩篇51番に基づく作品です。ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の秘曲とされていたこの作品は、現在ではアカペラ作品の代表曲といえるほど有名な作品となっています。幼いモーツァルトが門外不出のこの曲を一度聞いただけで覚えてしまい、楽譜に起こしたというエピソードで知られています。現在ではそのモーツァルト写譜を基にした楽譜で歌われることがほとんどですが、この楽譜は当時、歌唱の際に当然のように施されていた装飾法が記されていない実にシンプルなものとなっています。実際にシスティーナ礼拝堂で歌われた際には、豊かな装飾を伴った形で歌われていたのです。それらを記載した楽譜は、アレグリより半世紀ほど後に生まれたシスティーナ礼拝堂の聖歌隊歌手トンマーゾ・バイによって装飾が施されており、18世紀後半に、いくつかの写譜が神聖ローマ皇帝らの手に渡っていました。このアルバムでは、バイの手による装飾が施された楽譜を基に歌われています。二重合唱による掛け合いをメインとする曲の構成こそ変更されていませんが、楽曲の印象は大きく異なります。声楽技巧が凝らされたその音楽からは、当時の装飾唱法を感じ取ることができ、大変興味深いものです。楽器が禁止されたシスティーナ礼拝堂での改悛の祈りをまとった内省的な響きは、聴き手の目の前に聖母子像を出現させるかのように神秘的です。参考図:ラファエッロの「大公の聖母」。

 アンサンブル・ゼーネは2014年にハンガリー系フランス人であるブリュノ・ケレ=ボージャールによって結成された声楽アンサンブルで、ゼーネ(ZENE)はハンガリー語で音楽を示す言葉です。主にルネサンス・バロック時代のレパートリーを扱い、現在、ヨーロッパ中の音楽祭などに招聘されるなど活躍の場を広げています。少人数のアンサンブルで非常に精度の高いハーモニーと高い表現力を聴かせる優れた声楽アンサンブルです。ここでは、アルバム・コンセプトに基づき、派手さを抑え、内省的な表現を重視した歌唱で個性豊かな楽曲を聴かせてくれます。比較的シンプルなバードやパーセルの作品では、その内包する悔いや祈りを示す和声を静かに響かせます。ロッティでは、同じく静かに和音を響かせながらも、曲のクライマックスに至るまでに徐々に表現の幅を広げていき、最終部では衝撃的な和音を存分に響かせています。最後だけ長調になる和音も美しく響かせ、イエスの復活というその後の奇蹟の展開を感じさせるものとなっています。ドメニコ・スカルラッティの『スターバト・マーテル』では、各声部が主張する複雑なポリフォニーを、統一されたアーティキュレーションと一体感のある歌唱で聴かせてくれます。ソプラノが4声部もあるため、どうしてもソプラノが目立つこの曲の歌唱なのですが、アンサンブル・ゼーネの歌唱は各声部のバランス感覚が見事です。この楽曲だけ、テオルボとチェロ、オルガンが加わりますが、あくまで歌の支えとなっています。それでも曲のしっとりとした情緒的な部分では、テオルボが効果的に響いており、音楽により一層の潤いをもたらしています。最後の『ミゼレーレ』では、曲の神秘性を感じさせながらも、豊かな装飾が施されたその人工的で技巧的な美しさをも示しています。名工が作り上げた宗教的な彫像を思わせる人工美です。アレグリの『ミゼレーレ』の本質をとらえた歌唱だと言えるでしょう。優れた指揮者によって鍛えられた声楽アンサンブルの粋を聴くことができるアルバムであり、聖母マリアの悲しみを音楽として体現したアルバムでもあります。音楽による聖母マリア像と呼びうる傑作CDです。

ジョヴァンニ・ストラッツァ:ヴェールを被る聖母マリア

 最後に、このアルバムのジャケットに使用されている作品を見てみましょう。タイトルとCD内容にあわせて、おそらく悲嘆にくれる聖母マリアの像と思しきこの彫刻ですが、実はブックレットを含めてこのアルバム内には、ジャケットの彫刻について記載がないのです。整ったマリアの顔、流麗なヴェールの表現など、かなり印象的な彫刻ですので、ウェブ検索すればすぐに分かるだろうと調べてみたのですが、調べ方が悪いのか、これがなかなか該当の作品にたどり着けません。画像検索も駆使してみた結果、これではないかというものを発見しました。それがジョヴァンニ・ストラッツァ(1818–1875)の「ヴェールを被る聖母マリア」です。19世紀イタリアの彫刻家というストラッツァ。ウェブ上で見ることのできるいくつかの作品を見る限り、その技巧はかなりのものです。ストラッツァが得意としていたのが、聖母マリアを題材とした彫刻で、この「ヴェールを被る聖母マリア」もそのうちの一つ。悲しみを湛えたマリアの静かな悲哀が見事に表現された作品で、アルバムの最終曲『ミゼレーレ』の歌唱にも通ずる美しさと言えるのではないでしょうか。

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