
クラシック音楽の全作曲家の中で、最もCD発売点数が多い、ヨハン・セバスティアン・バッハ。続々と発売されるバッハ録音の中から、スタッフの一推しディスクをご紹介していきます。バッハ演奏の最前線となる録音の数々にぜひご注目ください!

2022年、画期的な『調和の霊感』の録音で大きな話題を呼んだイタリアの天才リナルド・アレッサンドリーニが、コンチェルト・イタリアーノとバッハの『管弦楽組曲』を録音!『調和の霊感』に続く、ビッグ・タイトルの発売です。バッハの『管弦楽組曲』全4曲に加え、ヨハン・ベルンハルト・バッハとヨハン・ルートヴィヒ・バッハというバッハの年上の親族の管弦楽組曲を収録しています。弦楽器セクションは各パート一人という小編成で、コンサートマスターは『調和の霊感』でもすばらしい演奏を聴かせてくれた俊英ボリス・ベゲルマン。アレッサンドリーニ自らチェンバロを弾きながら、指揮を務めています。録音は2018年12月で、2020年録音の『調和の霊感』よりも前の録音となっています。アレッサンドリーニは小編成ならではの機動力を生かし、自らチェンバロ率いながらアンサンブルをコントロール、バッハの複雑に作られた構築的な楽曲を丁寧にひも解いています。ベゲルマンをはじめとする各楽器のソリストも持てる技巧をいかんなく発揮、即興性あふれる小気味よい演奏を繰り広げています。バッハの管弦楽組曲の面白さを改めて教えてくれるすばらしい演奏です。また、カップリングされているヨハン・ベルンハルト・バッハとヨハン・ルートヴィヒ・バッハというバッハよりも年長の親族による組曲は、バッハの作品と並べても全く遜色ない作品で、アレッサンドリーニたちの演奏がその魅力を引き立てています。

アルベルト・ラージは、イタリアのベテランのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者で、イタリアのSTRADIVARIUSレーベルなどにソロ録音や、自身が主宰するピリオド楽器アンサンブルの録音を残しています。彼の演奏は、イタリアの演奏家に我々が抱く一般的なイメージとは異なり、派手さや明るさは少ないのですが、確かな技術と深い楽譜の読みから来る解釈は、実に味わい深く、まさに【いぶし銀】と呼ぶべき演奏を聴かせてくれています。日本での知名度は高くないですが、何度も聴くに値する深みを持つ演奏家です。
このアルバムは、ラージ30年以上前から率いているピリオド楽器グループの一つで、主にヴィオラ・ダ・ガンバの合奏を主とするアンサンブルによるバッハのフーガの技法。一般的な出版譜ではなく、ベルリン自筆稿と呼ばれる楽譜を用いての演奏です。出版譜とベルリン自筆稿では、曲数や曲順、音楽そのものに相違点があります。なによりベルリン自筆稿の特徴と言えるのが、数字の象徴性。例えば、タイトルの原題『Die Kunst der Fuga』は、最後のフーガだけをラテン語またはイタリア語にしている(ドイツ語ならばFuge)のですが、これはタイトルから158という数字を導き出すため。アルファベットのaを1とし、zを24とし(iとj、uとvは同じとして扱います)、タイトルのアルファベットを数字化し、すべて足すと158になります。これは、JOHAN SEBASTIAN BACHを同様の手法で数字化し、合計した数と一致するのです。さらに、158を1+5+8=14とするとBACHの綴りのその数 2+1+3+8=14と一致します。これを単なる数字遊びとしてしまえばそれまですが、バッハは一族のファミリーナンバーとも言える14という数字を大事にしていたことは疑いようのない事実なので、『フーガの技法』という自らこだわってきた対位法研究の集大成のような曲集にはふさわしいものだと言えるでしょう。こんな数字の魔術がベルリン自筆稿には他にもたくさん隠されているのです。オルガン奏者としてこの録音に参加しているルカ・グリエルミによる詳細な解説がブックレットには記載されていて、これが示唆に富んだ内容です。詳細な注が付いた翻訳は読みごたえあり!ぜひ国内仕様でお求めください!
さて、せっかくのこうした綿密な研究も演奏内容が伴わなければ、全く意味がありません。そこが音楽の難しいところなのですが、ラージたちの演奏は本当に興味深く聴きごたえがあります。ラージは『フーガの技法』の録音に当たり、この曲集が鍵盤音楽であることを理解しながらも、ポリフォニーの練習曲的側面を考え、器楽によるポリフォニーが深められていったさまざまな楽器による16-17世紀のイタリアのカンツォンやリチェルカールの編成や、17世紀イタリアの貴族バルビリーニ家の宮廷で活躍したヴィオラ・ダ・ガンバ・コンソート、イギリス・バロックのブロークン・コンソート(同種の楽器の合奏であるホール・コンソートに対して、別の種類の楽器を用いての合奏スタイルのこと)、そしてブクステフーデ(若きバッハの憧れだった作曲家)らの北ドイツの器楽演奏スタイルというさまざまな器楽合奏の伝統を考慮し、ヴァイオリンを含んだヴィオラ・ダ・ガンバ・コンソートとオルガンという編成で臨んでいます。曲によって、編成を変え、多様な響きを生み出し、一つの曲集としてのまとまりも聴かせてくれるのです。研究と実践が高次元で融合した全く新しい『フーガの技法』録音と呼べるでしょう。イタリアから生まれたバッハの新しい地平線。バッハ・ファンなら、ぜひ聴いておきたいものです。

統一されたこだわりの装丁が印象的なドイツの新興レーベルbastille musiqueからの1点。フライブルク・バロックオーケストラをゴットフリート・フォン・デア・ゴルツとともに設立し、長年音楽監督を務めたドイツのベテラン・バロックヴァイオリン奏者ペトラ・ミュレヤンスによるバッハのヴァイオリン・ソナタ集。チェンバロはカメラータ・ケルンやラ・スタジョーネ・フランクフルトの創設メンバーである名手ザビーネ・バウアー。ここに通奏低音奏付のソナタでは、マリー・デラーが加わっています。アンハルト=ケーテン侯の邸宅であったバッハ縁の宮殿(現在はケーテン・バッハ音楽祭の会場の1つでもあるSchloss Kothen)でのレコーディングです。
さて、この演奏・録音を一言で表現すれば「鮮烈」。CD1の冒頭にはあえて通奏低音付のヴァイオリン・ソナタBWV1023を持ってきているところにまず強い主張を感じます。冒頭が印象的な楽曲で始まることで聴き手の耳を奪い、心をつかむのです。有名なソナタ第1番BWV1014では、冒頭から驚かされます。チェンバロの思わせぶりな始まりに乗って、ヴァイオリンが最初から即興を加え、はっとさせられるのです。こうした始まりは稀有でしょう。聴き手を一気に演奏にのめり込ませてしまうのです。ドキッとさせられる始まりは効果抜群と言えるでしょう。冒頭だけでなく随所で即興的装飾が実に効果的に加えられて、あまりにも濃密な第1楽章となっています。演奏全体で緩楽章は濃密に歌い、急楽章は切り込まれたリズムでピシッと語るといった様相を呈し、コントラストが鮮やか。鮮やかでありながら芯のある強い音色と軽々と即興をこなす完璧なテクニックを操るミュレヤンスのヴァイオリンと正面から拮抗するバウアーのチェンバロ。どちらもすごい!バウアーのチェンバロは右手と左手が明確に別パートを弾いていることが分かるので、演奏から曲のトリオ・ソナタ的構造が立ち上がってきます。2つの楽器で3つの旋律を奏で、音楽を構成するという、これぞバッハの狙った効果なのです。ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタは、ここ数年で数多くの注目の録音が登場していて、どれもそれぞれすばらしいので甲乙を付けることさえ困難ですが、この録音は、その中でも、演奏、録音、そして装丁まで含めたアルバム全体として目立つ存在であることは間違いありません。古楽界を牽引してきたベテラン古楽奏者の真骨頂をじっくりと聴ける録音です。

バッハのヴァイオリン・ソナタといえば、「ヴァイオリンとオブリガード・チェンバロにための6つのソナタBWV1014-1019」が有名ですが、それとは異なる「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ」とされる作品を集めたアルバムです。作曲年代もバラバラで、作品としてまとめられているわけではないので、どうしても知名度が劣ってしまう点は否めません。しかも一部は研究者からは偽作とされており演奏機会も減ってしまっています。しかし曲想も多彩で、バッハの作曲の技法の実験や変遷も分かり、大変興味深い内容なのです。ここでは、イタリアの鬼才ロレンツォ・ギエルミと、ヨーロッパの古楽シーンの最前線で大活躍中の平崎真弓、若き実力派チェリスト、アンナ・カンポリーニがすばらしい演奏で、この比較的知名度の低いバッハの作品の面白さを教えてくれています。例えば、BWV1023は、通奏低音の保続音(オルゲルプンクト、同じ音または和音を持続させること)の上で、ヴァイオリンが華麗な技巧を聴かせる印象的な冒頭を持っています。インパクトは絶大!BWV1022は、バッハの指導の下、弟子または息子が作曲した作品と見られていて、バッハによる作曲実践指導の成果とも考えられる興味深い作品となっています。また、このアルバムにはチェンバロ独奏曲も併録されていますが、これも無伴奏ヴァイオリン・ソナタと関わりのある作品であり、バッハのヴァイオリン作品とのつながりを考慮した凝ったプログラムとなっているのです。ギエルミによるこうしたプログラムの妙も聴きどころでしょう。圧倒的な技巧を聴かせる平崎真弓のヴァイオリンとバッハの対位法の特長を浮かび上がらせるギエルミのチェンバロもすばらしいですが、はっきりと主張するカンポリーニのチェロもまた絶品です。これは「痒いところに手が届く」バッハ・アルバムだと言えるでしょう。日本語解説には、ギエルミによる原文解説の翻訳と、演奏に関するコメント付き。ギエルミの解説も示唆に富んだもので、興味深いものです。