必聴傾聴盤紹介~『ユダ~J.S.バッハ:アリアとレチタティーヴォ/ベネディクト・クリスティアンソン』

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『ユダ~J.S.バッハ:アリアとレチタティーヴォ/
ベネディクト・クリスティアンソン』

ベネディクト・クリスティアンソン(テノール)
セルゲイ・マーロフ(ヴァイオリン)
アンサンブル・コンティヌウム
録音:2022年6月19-22日/ベルリン、アンドレアス教会

CD COVIELLO COV92307 輸入盤 

収録情報

J.S. バッハ:ユダのアリアとレチタティーヴォ
スモック・アリー ~トンマーゾ・ジョルダーニとアイルランド音楽
カンタータ第131番『深き淵より われ汝に呼ばわる、主よ』 BWV131より アリア Meine Seele wartet auf den Herrn
カンタータ第78 番『イエスよ、汝わが魂を』 BWV78より レチタティーヴォ Ach! ich bin ein Kind der Sünden
カンタータ第179番『心せよ、汝の敬神の偽りならざるかを』 BWV179より アリア Falscher Heuchler Ebenbild
カンタータ第55 番『われ哀れなる人、われ罪の下僕』 BWV55より レチタティーヴォ Ich habe wider Gott gehandelt
カンタータ第76 番『天は神の栄光を語り』 BWV76より アリア Hasse nur, hasse mich recht
カンタータ第55 番『われ哀れなる人、われ罪の下僕』 BWV55より アリア Erbarme Dich! Lass die Tränen dich
カンタータ第3 番『ああ神よ、いかに多き胸の悩み』 BWV3より レチタティーヴォEs mag mir Leib und Geist verschmachten
カンタータ第12 番『泣き、歎き、憂い、怯え』 BWV12より アリア Sei getreu, alle Pein
マタイ受難曲 BWV244より レチタティーヴォ Trinket alle daraus
カンタータ第154 番『いと尊きわがイエスは見失われぬ』 BWV154より レチタティーヴォ Dies ist die Stimme meines Freundes
カンタータ第157番『汝われを祝せずば』 BWV157より アリア Ich halte meinen Jesum feste
カンタータ第183番『彼らはあなた方を追放し』 BWV183より アリア Ich fürchte nicht des Todes Schrecken
カンタータ第97番『わがなすすべての業に』 BWV97より アリア Ich traue seiner Gnaden

 バッハのカンタータの中のアリアとレチタティーヴォをユダの視点から読み解こうとする極めて異色のアルバムが登場しました!アイスランド出身のテノール歌手ベネディクト・クリスティアンソンによる企画と歌唱で、気鋭のアンサンブル、コンティウウムとの共演になります。ベネディクト・クリスティアンソンは、ラーデマン指揮によるバッハの「マタイ受難曲」やカンタータなどのバッハ録音に参加し、すばらしい歌唱を聴かせている、いま注目を集めるテノール歌手で、バッハ歌手としても注目を集めています。
 ユダと言えば、不吉な数字13が象徴するように、イエス・キリストの弟子の中で、イエスを売った裏切者です。聖書中のヴィランとされる彼は、中世より絵画などではことあるごとに悪者として描かれ、時に悪魔のような、時に卑屈な表情をした守銭奴のような、鑑賞者に嫌悪感を抱かせる姿で表現されることがほとんどです。ですが、ユダの裏切りがなければイエス・キリストの受難という預言の成就は達成されないので、そうした意味では絶対に欠かすことのできない役割を持っていたとも見ることができます。こうしたユダに対する考えは、なにも最近のものではなく、紀元200~340年頃に書かれたとされるユダ自身が書き残した、またはその主張が書き記されたとされる「ユダの福音書」が示すように、キリスト教初期から存在するものでした。もちろんこの考え方は異例であり、グノーシス主義の異端とされ、歴史の表舞台に出ることもなく、その実在も疑問視されることもありましたが、21世紀になって1970年代にエジプトで発見されたパピルスの解析が進み、その一部に「ユダの福音書」が含まれていることが判明しました。その日本語訳版も出版されるほど、世界的なニュースとなったのです。「ユダの福音書」には、なんと裏切者ユダが実際は弟子の中で最もイエスの真理を授かっており、裏切り行為自体もイエスの命を受けて行ったことだとされているのです。
 ベネディクト・クリスティアンソンは、自身がマタイ受難曲を歌ったとき、ユダのセリフを歌う場面で一般的な解釈通りに歌うことに迷いを覚えたそうです。その後にイスラエルの作家アモス・オズの「ユダ」という著作を読み、ユダという人物とその物語に注目したと語っています。バッハ歌いとしての彼は、バッハのカンタータの作品の中から、ユダに関連すると思われる歌詞を持つアリアとレチタティーヴォを選曲し、アルバムに仕立て上げました。彼の独自の解釈の下、その歌詞がユダの心境や境遇を歌っているのではないかという楽曲が選ばれているのです。例えば、冒頭のBWV131『深き淵より われ汝に呼ばわる、主よ』のアリア「我が魂は主を待てり」は、ユダが裏切りから自殺するまでの心境を描いたものではないかという推測を行っています。BWV179『心せよ、汝の敬神の偽りならざるかを』のアリア「不実な偽善者の姿には」では、厳しい言葉を自らに向けるユダの心境を歌ったものと見ています。最後に収録されたBWV97『わがなすすべての業に』のアリア「我は神の慈しみにより頼まん」は、神への無条件の信頼を歌う歌詞の中で、ユダの罪は清められたとしています。このようにベネディクト・クリスティアンソンは、このアルバムの中で、バッハのカンタータのアリアとレチタティーヴォでユダの物語を成形していくのです。類を見ないコンセプトによるアルバムと言えるでしょう。
 このようにこのアルバムが、単なるバッハのカンタータ名アリア集ではなく、一貫したコンセプト、しかも異色のコンセプトで集められたという点だけでも面白いですが、共演するアンサンブル・コンティヌウムの演奏がまたこだわっていて面白いのです。ブックレットには明確なメンバー表や楽器編成が掲載されていないので、音や演奏風景の写真、また公開されている動画から判断するしかないのですが、ヴィオラ・ダ・ガンバとオルガンまたはチェンバロの通奏低音に、オブリガート楽器としてオーボエやヴァイオリンが加わる編成で、しかもヴィブラフォンまで導入しているのです。驚くべきことに、このヴィブラフォンの響きは他の古楽器の響きの中にあっても不思議と違和感なく調和しています。むしろ歌唱・演奏の内省的雰囲気を醸し出す演出を施す役割さえ担っているかのようなのです。
 もちろんベネディクト・クリスティアンソンの歌唱も秀逸ですが、他の録音で聴くことのできる彼の歌唱よりもずっとエモーショナルな表現になっているようです。これは彼がユダに対してシンパシーを持っているのでしょう。そうした思いが伝わってくる見事な表現力による歌唱となっています。
 注目の歌手と気鋭のアンサンブルによる極めて異色なバッハ・アルバムで、裏切者ユダの本当の物語を想像してみてはいかがでしょうか。(須田)

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